7泊
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6月22日から29日までツェルマットに7泊する
インターラーケン・オスト、シュピーツ、フィスプで乗り換えてツェルマットに1:50着。石畳を四苦八苦してたどり着いたホテル、ヴァイスホルンはエレベーターが無くて3階まで荷物を抱え上げなければならない。
夕方になるとモンテ・ローザホテルの前では生演奏が始まってなかなかロマンチックな雰囲気。マッターフィスパ川まで少し歩く途中マッターホルンの絶景ポイントがある。河の水の色は白濁している。氷河の水を集めた川特有のミルク色。
6月23日 シュワルツ・ゼー(2583M)よりフーリまで歩く。
先にツェルマット入りしていた柳川の平田組6人と待ち合わせして、12人でシュワルツ・ゼー行きのロープウェイに乗る。
シュワルツ・ゼー(黒い湖)では逆さマッターホルンを見た。そこからフーリまでかなり急な下り坂を歩いた。4時間半も氷河の雪や小石がごろごろしている急こう配の難所をストックを頼りに神経をピリピリさせて歩いたのだが、陽気な柳川組と一緒だったので頑張れた。
経験豊富な椛島氏の記憶を頼りにエーデルワイスを7株見付ることが出来た。今年は極端に少ないらしい。
フーリで飲んだビールの美味しかったこと!
6時からホテルの下のレストラン、デュポンで夕食。12人の大世帯でワイワイガヤガヤ盛り上がる。平田組の旅の様子を聞きながら楽しい会食となった。。
6月24日 シオン旧市街散策
それにしても山歩きは少し飽きてきたなあ・・・。そういう訳で今日はグループ行動と別にして戸谷さんと二人で電車に乗ってシオンへ行って街歩きを楽しむことにする。“世界の街歩き”だ。
なかなかシオンに着かない。周囲の言葉がドイツ語からフランス語になっているのに気付く。
向かい側の席にチケットを見せて尋ねると、もう50分乗りすぎていると言われる。窓の外に突然、海?と思うとレマン湖だった。
モントルーで降り、せっかくなので見て廻る。
モントルーは高級リゾート地そのもの。夏のバカンスの陽光があふれている。1時間余り、湖の周囲を散歩して廻った。湖の向こうはフランス。湖岸の遊歩道は夏の準備の真っただ中というムードでワクワクしてくる。湖を向いたクィーンのフレディ・マーキュリーの銅像が片手にマイクを握り片手は空に突き上げている。
後ろ髪をひかれる思いでモントルーを後にする。
やっとたどり着いたシオン。暑い!ひざしがやたら強くて、とにかく暑くてたまらない。
ドイツ語も解らないが、フランス語も全然…
偶然入った教会でパイプオルガンの演奏が始まった。練習の時間なのか。相棒はなんと“次はバッハを弾いて”と上段のオルガニストに向かって拍手を送る。ひんやりした昼間の広い教会には私達だけ。延々と続くオルガンの音色、ステンドグラスからの午後の光、心が洗われるとはこういうこと。
厳粛な気持ちで教会を出ると広場を挟んでまた教会があってそこからもパイプオルガンの音色が。スイスではほとんどの教会にパイプオルガンがあるのか?今度のオルガンの音色は明るくて、演奏自体も少し稚拙なようだ。聴いたばかりなので私にも違いが判る。パイプオルガンの聴き比べなんてすごい経験をさせてもらった。
満ち足りた思いで帰りの電車に乗る。とうとう昼食も食べずに過ごした一日、でも心が満足した忘れられない街歩きになった。
6月25日 スネッガー゙(2288M)からブラウヘルトへ
今日は山歩き。昨日までのじりじり照り付ける日差しが曇り空になって嬉しくなる。
ケーブルカーでスネッガーまで(標高1620Mから2288Mへ)一気にトンネルの中を上る。
スネッガーからブラウヘルトまでさらにロープウェイで300M上がっていく。
ブラウヘルトからスネッガーまで歩いて降りるコースだ。曇り空、ひんやりした空気、山歩きには最適の天候。
高山植物を観察しながらゆっくり降りていく私たちの横をキックバイクの集団が信じられないスピードで降りていく。大きな石がゴロゴロする急こう配の狭い坂道をまるで落下するようだ。ヘルメットで完全装備してはいるが危険極まりない。よけたり、譲ったりすると、“サンクス!”“ナイスデイ!”と言いながらあっという間に見えなくなる。“テイクケア!”と後ろ姿に声をかける。
高山植物に詳しいメンバーは熱心にエーデルワイスやニグリテラニグロ(チョコレート色の小さな花)を探す。そのうちぽつぽつ降ってきてだんだん本降りになり雷まで鳴り出した。やっとレストランにたどり着いてひと休みする。
小降りを見計らって出発したら一段と雷がひどくなる。周りの木をよく見ると雷で割けた木が目立つ。スネッガー駅まで生きた心地がしなかった。最高にスリリングな体験だった。
CNNのニュースでイギリスがEUから離脱することを選んだと知る。
歴史博物館でツェルマットの民族歴史とマッターホルン登山の詳しい説明を映像や遺物で理解することが出来た。
6月26日 ブリーグの町歩き
朝、ツェルマットは真っ白の霧に包まれて雨も降っていた。
10:17の電車に乗りフィスプで乗り換えブリークへ。駅前一帯の建物がとてもチャーミング!駅から続く旧市街への道。旧市街には美しい建物がずらりと並んで、ブリークの繁栄ぶりが偲ばれる。日曜日とあって家族連れがカフェで食事をしながらくつろいでいてとても賑やか。
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スイスで一番大きい私邸といわれているシュトックアルパー城。芝生の美しい庭園で休んだ後中に入ってみた。博物館になっていて、丁寧な展示がしてあるが、写真を見るだけ、書いてある内容がさっぱり。アルプス越えの2大ルートの一つシンプロン街道の町として発展してきたことが理解できた。
昼下がりのカフェでビールをチビチビ飲んでいい気分になる。“ああ、生きてて良かった。最高の贅沢をさせてくれてダンナサマありがとう!”
ブリークからツエルマットまでの電車の眺めは圧巻。 、何度通っても景色に酔いしれる。川沿いの急峻な岩山や断崖絶壁、そしてぞっとするような高い鉄橋、へばりつくような駅とちらほら見える山小屋。氷河がすぐそこまで迫っている。
6月27日 ゴルナグラート(3089M)
ぐるりと4000M級の名峰に囲まれた遠景の見事さ。マッターホルンがはっきりと姿を見せていて写真を撮りまくっていると、椛島氏から“少し雲がかかった方が良い写真になります。”とアドバイス。帰りは一駅目のリッフェルゼーで降りてリッフェル湖に写る逆さマッターホルンを見る。見事な写真が撮れた。
2つ目の湖を超えて広々とした草原、そこで昼食。マッターホルンを独り占めするような岩の上でさわやかな風に吹かれながら昼食。気持ちが高揚してきてご飯が喉につかえるほど。“ありがとう、みんなありがとう!
”
フィンデルバッハ駅までの途中、マッターホルンの形がずっと変わっていくのが面白い。ぐるりと廻って歩いていることになる。マーモットの子供たちがじゃれあっているのが見える。観られていると気づくと、チョコンと背を伸ばしてこちらをじっとうかがっている
登山電車を降りてホテルまで帰る途中、大混雑のメインストリートでヤギの行進に出会う。毎朝と夕方、観光客へのサービスで行われている。かなり足早で、動画を撮ろうとして追いかけてもなかなか難しい。ヤギ飼いの少年少女風のこどもたちはすました表情で、そこがまた面白い。長い木のホルンを吹く老人たちもいる。なかなかの演出だ。ヤギ飼いの子供たちは小学生で当番制とのこと。いかにも観光立国らしい。
6月28日 ツェルマットで過ごす最後の日
晴天。明日はスイスとお別れの日。
森林コースを歩いた。初めての椛島氏抜きの山歩きに不安を抱えながら降りていく。やがて森に入ってしかも急な坂だったり間違いそうになったり。木洩れ日と美しいカラマツ林に眼も心も癒される。
何組かのハイカーに出会い“ハイ”、“グッデイ”と声を掛け合う。お昼ご飯をたべる。やがてフィンデルの滝の横に出て、マッターホルンと滝と登山電車の動画を撮れて満足。
6月29日 ツェルマット(スイス)からリューデスハイム(南ドイツ)へ
ツェルマット、フィスプ、ベルン、フランクフルト、と乗り継いでリューデスハイムに16:34到着。大きな街の駅、ベルンやフランクフルトでは警官の姿と職務質問を受ける人たちを数多く見た。昨日トルコのアタチュルク空港で爆破事件があったばかり。駅の人ごみを大きな荷物を抱えて急ぎ足で歩いているとだんだん怖くなってくる。欧州の抱えている問題を肌で感じる。
6月30日リューデスハイムからフランクフルト空港そして7月1日日本へ。
かくして5月31日出発した足かけ3カ月の旅が終わった。
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どの角度からでもさまになるマッターホルン |
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夕日に染まる峰々 |
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温暖化で氷河がどんどん消えていく |
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私だけのマッターホルン! |
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シュワルツ・ゼー(黒い湖) |
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ひと休み |
シオンは50分前に通り過ぎたよ。ワッハッハ |
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レマン湖。 |
モントルーは夏バカンスの準備で大忙し |
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対岸はフランス |
柴犬のサチ。日本犬が流行 |
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ブリーク |
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ブリークの城 |
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今日は
どのコースにしようかなあ… |
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ゴルナグラートの天文台 |
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アルプスカラス |
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夕闇迫るマッターフィスパ川 |
ネズミ返しのある昔の家 |
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