鄭成功の生家の看板を見つけて歩いていくと平戸つつじの生垣の奥に廟を見つけた。
中国人海商で平戸を根拠地として活動した鄭芝龍(ていしりゅう)を父に、平戸川内の田川マツを母に1624年7月14日平戸で生まれた。幼名を福松、中国名を鄭森と言う。
鄭成功は、わずか7歳で単身海を渡り、21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼んだ。後に清朝との戦いの中、父芝龍が清に投降しするが、鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、 台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放した。